こんにちは!きんタローといいます!
筋トレを愛するSEです。
大手IT企業でSEをやっていましたが、今は事業会社の社内SEに転職しました。
小学校時代
足が速く、スポーツマンといわれていた。
陸上、サッカー、野球、卓球等いろんなスポーツをやってました。
中学時代
ひたすら部活三昧。
顧問がめちゃくちゃ厳しい人でひたすら怒鳴らていた。
試合に勝っても一度も褒められたことはない。
ただ、初心者ばかりのチームメンバと県大会ベスト8まで行けたのはその人がいたから。
当時は嫌だったが今はいい思い出。この経験がいまでもプラスに働いている気がする。
高校時代
一番楽しかったのはおそらくこの高校時代。
ひたすらふざけて遊んでいた気がする。
このころから邦楽ロックにはまり、ライブによく行くようになった。
高校3年からは大学受験勉強。
はじめるのが遅く、志望校はE判定ばかり。。
色々あり、偏差値50程度の理系大学に進学することとなる。
大学時代(1回生)
工学系の情報学科に所属。
理系大学のこともあり、男ばかり。
高校がわりとはっちゃけたタイプの人間が多かったせいか大学の人のタイプにギャップがあった。
最初のころは大学の人と馴染めず、ずっと高校の友達と遊んでたな。。
大学時代(2回生)
大学2年生のときから友人に誘われて軽音楽サークルに入る。
自分以外のバンドメンバは経験者だったため、ひたすら練習をした。
学園祭でトリをできるようになるまで成長した。やっぱり音楽は楽しいと思った瞬間だった。
勉強の方はというと情報学科に進学したのにもかかわらず
まったく情報系の授業に興味がわかず、部転や編入を本気で考えた。
プログラミングとか意味不明すぎてほぼ友達にやってもらってたな。。
大学時代(3回生)
大学3年のときは就職するか大学院に進学するか判断する必要があった。
とりあえず、大学院の進学も視野にいれつつ就職活動もしていた。
情報学科、先輩の就職先もほぼSE採用ということもあり、IT企業を中心に就活。
ただ、プログラミングは絶対にやりたくないと思っていた。
いろいろ調べていくと、SEの中にも種類があり、プログラミングする人もいれば企画する人、要件を決める人など、SEでもプログラミングをしなくてよいポジションがあると知った。
いわゆる上流工程をしたいと思うようになり、上流工程を行うためには大手企業に入るのが近道だと考えた。
ただ、偏差値50の大学から大手企業に入るのは中々の難関だった。
心の中では無理だと思っていたが、大学院生の就職先をみてみると大手企業に就職している人ちらほらいた。この時、大学院に進学を決意した。
色々あったが大学院へ進学してよかったと思っている。
大学時代(4回生)
卒業単位は3回生の時までにほぼ取り終えていたため、ほぼ研究のみ。
なかなか思うように進捗(成果)が出ずに、こんなんで大学院やっていけるのか..とかなり不安になった記憶がある。
いろんな人からの助けもあり、無事論文を纏めることができた。
大学院時代
授業はもちろんあるが、メインは研究。
進捗さえあれば研究室にこもらなくてもよい比較的緩い研究室であったため、時間もそれなりにあった。
筋トレとの出会い
そんな中やりはじめたのが筋トレ。
この時に筋トレに出会えて今ではほんとうによかった思っている。
就職活動
研究と並行して就職活動。
おそらく大学時代に一番頑張ったのがこの就職活動(研究じゃないんかい!)
色んなインターンや会社説明、OB訪問に参加した。
そして運よく第一志望の大手IT企業に内定が決まった。
自分にしては頑張っていたので、人生の中で1、2位を争うくらい嬉しい出来事だったと思う。
研究
なんだかんだ研究も海外での発表や論文誌への掲載も決まり、大学では主席、優秀論文賞の受賞などこれまでには考えられない成績を収めることができた。
まわりからは「え、どうした。」「え、お前が?」という反応をよくされてたなぁ..
社会人
ずっと目指していた企業への就職。
大手IT企業のSEとなった。公共系の業務をメインで担当することに。
想像と違う部分もあり、上手くいかないこともあるが、いい人が多くなんとかやっていったが、
ずっとこのまま似たようなことを繰り返す人生でいいのか、、、と思い約5年務めた会社からの転職を決断。
事業会社のSE(いわゆる社内SE)に無事転職が決まり、現在に至る。
このブログを通じて色んなアウトプットを出しながら、自分の方向性を見つけていきたい。